• by DAVID BOWIE.

2014年07月11日

沙羅双樹

沙羅双樹・・・"さらそうじゅ"、或いは"しゃらそうじゅ"と読む。

ツバキ科のナツツバキ、日本において無常の象徴とされている植物である。

平成二十六年某日、「東林院・沙羅の花を愛でる会」という催しへ行った。


※写真人物は私ではありません。





『平家物語』の冒頭

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ



古典というものはどうも苦手で、そういった類の意味は理解していない。

ただ、この"祇園精舎の鐘の声~"はメロディ的な感覚で意味はわからずとも覚えていた。

意味は検索すればすぐに出てくるだろう。

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釈迦が説法をした天竺の祇園寺の鐘の音には、
この世の全てのものが消滅流転すると言う真理を告げる響きがある。
釈迦が入滅したときにその死を悲しんで、俄かに白色に変わり、
枯れてしまったという 沙羅双樹の花の色は、どれほど栄えたものでも
必ず衰える時が来るという、理をあらわしている。

力を誇っている人も永遠という事はなく、それは春の短い夜の儚い夢のようなものである。
勇を奮う者も最後には滅びてしまう。
それはただ、風の前であっけないく吹き飛んでしまう 塵の存在と同じである。
引用元

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ナツツバキ

沙羅の花を愛でる会、といっても何か会員の集まりだとかいうものではなく、
小さな庭の青苔に落花の風情が楽しめるもので、その光景を見ながら住職のお話を聞くという観光の一つだ。


他の観光客の皆さん


ところどころにある白い点が、落ちた沙羅双樹の花


晴れ続きで苔が茶色くなってしまったようだが、梅雨時期しか見られない風情

この光景を目にしながら縁側に腰掛け、住職の話に耳を傾ける。



解釈は様々

住職によると、この沙羅双樹にまつわる話は様々な言い伝えや解釈により、
どれが正しいだとか間違いだとかは存在しないという。

ただ、この沙羅双樹の咲いてから落ちるまでの短い時間、
それは生きている我々にも当てはまることなのではないかという。

生と死は別々ではない。

生まれたからにはいつか死ぬ。

沙羅双樹の花をはじめ、すべての花や花びらは、一旦落ちると二度と咲いていた場所には戻らない。

咲いてから落ちるまで、それは生まれてから死ぬまでのことなのだろう。

「大丈夫ですよ、心配なさらなくてもみなさんも必ず死にますから(笑)」

冗談を交えながら話す住職に、観光客からも笑いがおこる。


咲いている花が生き様ならば、落ちてしまった花は死に様なのだろうか。

ここで観た光景は、そこにフォーカスされているようにも思った。

儚さ故の生き様、死に様がこれほど映えて見えたのは初めてかもしれない。


妙心寺敷地内の東林院



公開期間は決められているようなので、事前確認を。


お菓子とお抹茶付で1,600円  


Posted by Takuji at 22:30Comments(0)通常